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2017-05-27

受け容れることは、簡単じゃない。 〜伊万里 本光寺への旅〜

観山荘の終活セミナーをきっかけに・・・

「終活」という言葉も耳慣れてきた昨今。各地でセミナーやイベントが催され、ずいぶんと身近なものになってきた気がします。でも、いつかは来ると分かっていても、できるだけ先延ばしにしたくなるもの。私自身、自分も親も遠い未来のことのように考えているし、周りに話をきいてみても「考えたくないなあ」「受け容れられるかなあ」と抵抗を感じているのも事実。

そんな折、終活についてのイベントを主催している観山荘の小野店長と、骨壺等も制作している磁器彫刻家の英一郎さんと、アジアンマーケットの安武さんとがお話をする機会がありました。終活や葬儀に触れる機会が多いおふたりと話す中、だんだんと議論は熱を帯び「旅立つこと、見送ることの本質について掘り下げたい」という共通の意識が芽生えました。
そこで、糸島で葬儀社を営んである徳久さんを交え、伊万里にある本光寺の住職、小島さんに会いにいくことにしたのです。

いざ、伊万里・本光寺へ!

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天神から高速バスに乗り、いざ伊万里に向け出発。車中の会話は「葬儀のあり方」についてだったり「イベントやモノ・コトを提供することで何を伝えるべきか」ということ。

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葬儀の演出は昔に比べ、花の飾り方、棺の種類など「その人らしさ」を表現できる幅も広がったし、考える時間も増えたのだそうです。確かにそういった演出によって、より鮮明に故人と過ごした時間に思いを馳せることができるなら、とても意味のあることだなと思いました。

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そんなことを話しながら山あいの道を抜け、伊万里に到着。

さすが江戸時代、日本磁器の魅力を世界に発信した港を持つ町。その偉業を誇るかのような、昔ながらの空気がそこかしこに感じられます。
旧街道の奥に佇むここが、旅の舞台本光寺です。

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「時代のニーズに歩み寄ることが大切」

到着すると、小島さんに寺院内を案内していただきました。すると・・・車いすで本堂まで入れるようにスロープがあったり、多目的用トイレがあったり、時代のニーズも取り入れた造りになっています。「みなさまが利用しやすいように」現代人が足を運びやすく工夫するのも大切なことなのだと、教えてくださいました。

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お寺とのつながりが薄くなっている一方で、神社・お寺めぐりがブームになっている現象とは

軽くお昼をすませ、お茶菓子をいただきながら自己紹介と今回の旅の目的を共有。
仕事や日々の生活を通じて考えていた「旅立つこと、見送ること」の意味。

みなさん、それぞれ想いを抱いてこの場に臨みました。

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まず話題になったのは「現代人はお寺とのつながりが薄くなっている」ということ。
かつて、お寺は人々が集う場所でもありました。学問はもちろん「生きるための教え」を聴きに多くの人が足を運んでいましたが、時代の移り変わりとともに、公民館や学校に役割が取って変わり、いつしかお寺と言えば「法事の時に訪れる場所」お坊さんと言えば「お経をあげてくれる人」という認識に変わってしまいました。

生活スタイルも核家族化が進み、転勤もあるため家に仏壇が無い世帯も珍しくありません。

「自分の祖先はどんな人で、どこに眠っているんだろう?」改めて考えると、知らないことも多いかもしれません。

一方で、神社・お寺めぐりがブームとしてもてはやされている時代でもあります。お寺でヨガをしたり、座禅・断食体験など、その種類や目的も豊富です。

このギャップはどういう現象なのでしょう?ひとしきり議論。

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もしかしたら、仕事に明け暮れ、世間にもまれ、他人と比べ、物事がうまく行かず悲観的になってしまう時、孤独を感じ「心のよりどころ」を求めているのかもしれません。

なぜ心のよりどころをお寺に求めるのか

法事というのは本来「仏の心を知る」こと、お経とは故人を供養するためのものではなく「生きるための教え」なのだそうです。
生きていると色々な苦しいことが起こります。それを取り除くための、おしゃかさまが修行に修行を重ねた末に導きだした考えが詰まっているのだそうです。
…そう考えると、なぜ今ブームになっているのか、わかるような気がしてきました。

死を教わり、生きることをみつめる

小島さんのお話の中で、印象に残った言葉があります。それは
「旅立つ人は”命には必ず終わりが来る”ことを教えている」という言葉。

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そうは言っても…見送る人は、その事実をどう受け止めればいいのでしょう…?
大切な人を亡くして、とても悲しい。
辛くて生きていけない…もっとああしておけば良かったと後悔の日々が続くかもしれません。その人に対する想いが深ければ深いほど、受け止めることは、簡単ではありません。

でも、そうやっていつまでもふさぎ込んでいたら故人は心配になってしまうそうです。それが未練となってしまったら…おちおち成仏などできません。
お葬式や法事の時にお経を読むのは、見送る側の、大切な人を亡くした苦しみを取り除き、生きることを見つめさせるアフターケアでもあるのだそうです。
「メメント・モリ(ラテン語で「死を想い、今を大切に生きろ」という意味の言葉)という概念に通じますね」と、英一郎さん。
宗教や国という境を越え「死を教わり、生きることをみつめる」想いは、人間の共通する意識なんだなと感じました。

原点回帰と新しいものの融合

だんだんと話は深まり、今回の旅も佳境に入ってきました。
情報が多い今だからこそ、神社・お寺巡りがブームになったり「終活」という新しい価値観が生まれ「その人らしい」見送りの仕方を考える時間も増えました。

「その人らしさ」や「故人を偲ぶ」ことは、実際はとても深くて形のない「心」の部分だったりします。しかし、その心こそが「旅立つこと、見送ること」の原点だと思います。

 

忙しいと亡くしがちな「心」を、どう見つめていけば良いのでしょうか?

人間、形が整うと心も入りやすくなると言います。
英一郎さんは「骨壺」という形を通して想いを届けられるかもしれません。

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観山荘の小野店長は「終活イベント」という形を通して、残りの人生をどう生きるか、という所まで意識を深めることが出来るかもしれません。

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葬儀社の徳久さんは「葬儀場」という形を通して、地域に情報を発信したり相談に乗ったりできる存在になれるかもしれません。

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住職の小島さんは、今後はさまざまな方にお寺をもっと身近に感じてもらい「檀家さん」というつながりではなく「個人」としてつながっていきたい、とおっしゃいました。

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そしてアジアンマーケットは、そういう活動をしている人たちのことを、より多くの人に知ってもらうように奔走したいと思っています。

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原点に回帰し新しいものを融合させることで、それぞれの向かう場所が見えてきたような気がしました。

自分自身であっても、大切な人であっても、いのちの終わりを受け容れることは、簡単ではありません。だけど一歩踏み出すことで「その日が来た」ときの心のありようが変わってくる。私自身、一日一日を大切に生きないといけないな、と思いました。

エピローグ

お話が終わり、外に出ると…雨が降っていました。落ちるしずくが儚くも趣深い風景です。

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少し歩くと、老舗の酒蔵がありました。

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お酒好きのメンバーは、次から次に試飲してはその美味しさに感激!そして皆だんだん陽気に…
お酒を呑み、嫌なことを忘れ笑い合えるのも、生きているからこその醍醐味です!

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酒蔵を出ると雨はすっかりあがっており、晴れ間から虹が見えました。
この旅を終えてみて「いろは歌」の歌詞を思い出しました。

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この世のものはすべて移り変わってゆくものであるということ、
さまざまな迷いや苦しみを乗り越えた先には幸せがあるということをうたっていると言われています。

かなを覚える学びの初歩として、日本人になじんできた歌は、実はもっと深いことを私たちに教えてくれていたんだなあ…
私たちは昔の人が時代を越えて紡いできた優しさに生かされているんだなあ…
と、感謝せずにはいられない旅となりました。

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